日本が黄金の国ジパングと呼ばれる理由とは?事実と異なる驚きの内容
2024年12月1日
「日本が黄金の国ジパングと呼ばれる理由は?」
「事実はどうなの?」
このような疑問はありませんか?
「黄金の国ジパング」という言葉は、イタリアの冒険家マルコ・ポーロが記した『東方見聞録』で日本を描写する際に使われた表現です。
ヨーロッパの人々にとって未知の島国だった日本を、金があふれる理想郷として描いたことで、ジパングの名は瞬く間に広まりました。しかし、東方見聞録の内容は事実と異なる点も多く含まれています。
本記事では、日本が黄金の国ジパングと呼ばれるようになったのか、その背景や影響について解説します。ぜひ最後までご覧ください。
<この記事でわかること>
- 黄金の国ジパングと呼ばれる理由
- 東方見聞録がもたらした歴史的な影響
- 金の持つ魅力
黄金の国ジパングとはなに?
「黄金の国ジパング」は、中世ヨーロッパにおいて日本を指す呼称として知られています。
この呼称が生まれた背景には、イタリアの商人マルコ・ポーロが記した「東方見聞録」が大きく関係しています。
「黄金の国ジパング」がどのようにして生まれたのか見ていきましょう。
- 「東方見聞録」で日本を紹介
- 中国語で日本国を発音した音が語源
順番に説明します。
「東方見聞録」で日本を紹介
「黄金の国ジパング」が最初に登場したのは、マルコ・ポーロの著書「東方見聞録」です。マルコ・ポーロは日本を「ジパング(Zipangu)」という名で紹介しています。
東方見聞録は、マルコ・ポーロが中国(当時の元朝)に滞在中に得た情報を基に書かれたもので、内容は以下の通りです。
- 日本は海の彼方に位置する島国である
- 国中が黄金で満たされている
- 天皇の宮殿は金箔で覆われている
これらの記載はヨーロッパ人にとって非常に衝撃的で、日本が豊かな黄金を持つ理想郷であるというイメージが一人歩きする結果となりました。
中国語で日本国を発音した音が語源
「ジパング」という呼称は、日本を指す中国語の発音に由来します。古代中国では日本を「日本国」と呼んでおり、発音は「ジーペン(Rìběn)」でした。
この音が13世紀の中国からマルコ・ポーロに伝わり、「ジパング(Zipangu)」という表記に変化したと考えられています。
「ジパング」がさらに英語圏へ伝わり、現代の「Japan(ジャパン)」へと変化していきました。
黄金の国ジパングが日本と一致している点
当時のヨーロッパ人にとって未知の東洋を描いた東方見聞録は、日本を「黄金にあふれる理想郷」として紹介し、人々の想像力を大いにかき立てました。
しかし、内容には誤解や誇張も含まれており、日本の実態とは異なる部分も多く見られます。
東方見聞録に記載された内容で実際の日本と一致している点は以下の通りです。
- 黄金の建物のモデルは中尊寺金色堂
- 偶像崇拝(ぐうぞうすうはい)や埋葬の習わし
ひとつずつ紹介します。
黄金の建物のモデルは中尊寺金色堂
東方見聞録には、「ジパングの宮殿は屋根がすべて黄金で覆われ、床にも黄金が敷かれている」と表現されており、中尊寺金色堂を指していると考えられています。
中尊寺金色堂は、極楽浄土を地上に再現することを目指して建てられた建築物で、当時の高度な工芸技術の結晶です。
当時、中尊寺が位置する地域では砂金が豊富に採掘されており、金色堂の装飾に用いられただけでなく、交易を通じて中国・宋にも多く献上されていました。
そのため、日本は金の豊富な産出国として知られるようになり、「黄金の国ジパング」のイメージが形成されたのです。
金で覆われた日本の建物として「金閣寺」が有名ですが、東方見聞録が書かれた14世紀よりも後、室町時代に建立されたため、金閣寺ではないと判断されています。
偶像崇拝(ぐうぞうすうはい)や埋葬の習わし
東方見聞録には、日本人が行っていた偶像崇拝について詳しく記載されています。偶像崇拝とは、仏像などの神仏を象徴する造形物を祀(まつ)り、信仰の対象とする行為です。
東方見聞録には、仏像を礼拝するだけでなく、宗派ごとの習慣や儀式が豊かに行われていたことが記されています。仏教の中には偶像崇拝を禁止する宗派も存在しますが、すべてがその教義に従っているわけではありません。
実際、日本では仏像を中心とした仏教文化が発展し、マルコ・ポーロもその様子を詳細に記載しています。
黄金の国ジパングが日本と一致しない点
東方見聞録に記載された内容と実際の日本が一致しない点は以下の通りです。
- 食人文化がある
- 豊富な香辛料がある
- 大量の金を持っている
それぞれ見ていきましょう。
食人文化がある
東方見聞録には、日本は食人文化が存在すると記されています。具体的には、「捕虜が金銭との交換条件を満たせなければ殺され、調理されて食べられる。その宴席には親戚や友人が招かれ、人肉が他の肉よりも美味であると喜ばれる」といった内容です。
これほど衝撃的な内容だったため、東方見聞録を読んだ当時の人々に、大きなインパクトを与えたでしょう。実際には日本で食人文化は確認されておらず、誤解や誇張に基づくものと考えられます。
興味深いのは、マルコ・ポーロが過激な描写をする一方で、「ジパングの人々は容姿端麗で礼儀正しい」とも述べている点です。このギャップで、読者はさらなる衝撃を受け、日本に対する謎めいた印象を強めたことでしょう。
しかし、過激な内容が国外に広まったことで、日本が外国から攻撃されるリスクが軽減されたとする見方もあります。当時の日本を「恐るべき国」として認識させたこの誤解が、皮肉にも当時の日本を守る役割を果たしたと言われているのです。
豊富な香辛料がある
日本は香辛料が豊富な国として東方見聞録に描かれています。しかし、実際に香辛料が豊かなのは中国や東南アジアの他国であり、日本は香辛料の産地ではありません。
この記載は、日本だけでなく東南アジア全体の文化が混ぜ込まれた結果と考えられています。日本では香辛料を海外から輸入しており、自国での栽培や収穫はほとんど行われていませんでした。
それにもかかわらず、香辛料が豊かな国と誤解されたのは、日本が貿易を制限していた神秘的な島国としてのイメージが影響していると言えるでしょう。
大量の金を持っている
東方見聞録に記された「莫大な金を産出する国」という描写は、日本の奥州地方、特に現在の岩手県に位置する玉山金山を指していると推測されています。
東北地方は古くから豊富な鉱物資源に恵まれ、特に金の産出地として有名です。東方見聞録が書かれた時代は、奥州の山からは大量の金が採掘され、日本国内でも有数の金産地として知られています。
このような事実が誇張されて記載されたため、「金の豊かな国」として誤解を招いたと考えられています。
黄金の国ジパング「東方見聞録」がもたらした歴史的影響
東方見聞録は、後世の冒険家や航海士たちに多大な影響を与えた書物として有名です。たとえば、コロンブスやマゼラン、バスコ・ダ・ガマなども東方見聞録に影響を受けたとされています。
コロンブスは、地球が球体であるという考えに基づき、東アジアへの航路を西回りで探す計画を立て海に出ました。結果として、コロンブスの航海は黄金の国ジパングには結びつかなかったものの、アメリカ大陸の発見という歴史的な転換点をもたらしたのです。
東方見聞録に触発された冒険心が、未知の領域への挑戦を促し、世界史を大きく動かしたと言えるでしょう。
【金の価値が高騰中】いつの時代でも金には夢と憧れがある
「黄金の国ジパング」は、マルコ・ポーロの東方見聞録を通じて広まり、日本を理想郷として描いた象徴的なフレーズで、世界中に大きな影響を与えました。
現在でも、金は夢と豊かさの象徴であり、多くの人が気持ちを高鳴らせるでしょう。
金の価値が高騰している今、歴史的背景を振り返りながら、金が持つ魅力を再確認してみてはいかがでしょうか?
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