「寛永通宝の価値はどれくらい?」
「いくらで売れる?」
このような疑問はありませんか?
寛永通宝は、江戸幕府によって1636年(寛永13年)に公式に鋳造が始まった貨幣ですが、それ以前にも私的に作られたものが存在します。現在は主にコレクションとして流通しています。
今から380年以上前の硬貨のため希少価値がつき、高く売れると思っている人も多いでしょう。
確かに寛永通宝は高く売れますが、種類によっては数百円ほどにしかならないものもあります。
本記事では、寛永通宝の価値を年代別に紹介します。レアな種類・高く売る方法なども解説するため、ぜひ参考にしてみてください。
<この記事でわかること>
- 寛永通宝の種類と価値
- 寛永通宝の偽物を見分ける方法
- 高く売るコツ
寛永通宝とは

寛永通宝は江戸時代に流通した銅貨で、名前は「寛永」という元号に由来しています。当時は、金貨や銀貨よりも身近な存在であり、庶民の暮らしを支える存在でした。
中央に四角い穴が空いているのが特徴で、「穴銭(あなせん)」とも呼ばれます。この穴は、たくさんの銭を紐に通して持ち運ぶために開けられました。
鋳造された時代や場所によって200種類以上もの種類があり、それぞれに異なる点も特徴です。ただし、どの貨幣にも表面に共通して「寛永通寳」の文字が刻印されています。
また、寛永通宝には、市場で使われた「通用銭(子銭)」と、お金を造るための見本として使われた「母銭」の2種類が存在します。
母銭は通用銭に比べて文字がくっきりしているため、見分けるのは難しくありません。母銭は希少価値が高いため、査定に出せば高価買取が期待できるでしょう。
当時の寛永通宝の価値

寛永通宝は、江戸時代に最も小さな単位の通貨として使われていました。
「一文銭」と「四文銭」の2つの種類が存在し、一文銭は現代の価値にすると約37.5円、四文銭は一文銭の4倍の価値にあたる約150円に相当します。
少額の買い物をする際に頻繁に使われていた貨幣であり、現代の私たちにとっての小銭のような存在でした。
「古寛永」と「新寛永」の違い

「古寛永」と「新寛永」は、鋳造された時期と品質に大きな違いがあります。
古寛永は、1636~1659年(寛永13年~万治2年)までに作られました。当時の技術的な問題や各地の大名がそれぞれ鋳造していたため、品質にばらつきがあり見た目も不揃いなのが特徴です。
新寛永は、1668年以降に鋳造されました。
新寛永は幕府が直接管理したため、品質が大幅に向上しており、文字の書体・サイズ・重さが均一になっており、見た目もきれいに整っているのが特徴です。
【古寛永】有名な寛永通宝の種類と価値

有名な寛永通宝(古寛永)を鋳造年ごとに紹介します。
- 1626年(寛永3年)鋳造
- 1636年(寛永13年)鋳造
- 1637年(寛永14年)鋳造
- 1653年(承応2年)鋳造
- 1656年(明暦2年)鋳造
承応・明暦に鋳造された貨幣も寛永通宝に分類されます。ひとつずつ見てみましょう。
※価格は中古市場全体の買取相場であり『買取大吉』の買取価格を保証するものではありません。
1626年(寛永3年)鋳造
1626年に鋳造されたのは「二水永(にえいすい)」です。水戸の商人が江戸幕府から許可を得て個人的に鋳造していたものであり、公の貨幣ではありませんでした。
そのため、数が非常に少なく希少価値が高いとされています。
名前の由来は、表面に刻まれた「永」の文字が、「二」と「水」を組み合わせたような珍しい形をしていることから来ています。
状態が良いものなら、5万円の値がつくことも珍しくありません。
1636年(寛永13年)鋳造
1636年(寛永13年)に鋳造された有名な寛永通宝は以下の3種類です。
それぞれの特徴を解説します。
芝銭
「芝銭」は、江戸幕府が公式に発行した最初の寛永通宝です。表面に書かれた「通」の文字が草書体になっており、裏面には何も刻印されていません。
初期の寛永通宝の中では比較的多く作られたため、通用銭の価値は~500円とあまり高くありません。しかし、母銭は数が少なく、1万円以上の価値がつく場合もあります。
浅草銭
「浅草銭」は、別名「御蔵銭」とも呼ばれる寛永通宝です。浅草銭の特徴は、くっきりと読みやすい文字で当時の鋳造技術の高さがうかがえます。
ただし、書体にいくつか種類があるため見慣れない人には見分けるのが難しいかもしれません。
流通量が多く希少価値は他の珍しい古寛永に比べると劣るため、買取相場は500~1,000円ほどです。
坂本銭
「坂本銭」は近江国坂本で鋳造された寛永通宝です。大きな特徴は「永」の文字の右上が勢いよく跳ね上がっているように見えるため「跳永(はねえい)」と呼ばれています。
流通量が比較的多いため二水永などの希少な種類と比べると価値は低く、買取相場は~1,000円ほどです。
1637年(寛永14年)鋳造
1637年(寛永14年)に鋳造された有名な寛永通宝は以下のように種類が豊富です。
- 水戸銭
- 仙台銭
- 吉田銭
- 松本銭
- 高田銭
- 岡山銭
- 長門銭
ひとつずつ解説します。
水戸銭
「水戸銭」は、力強い書体が特徴の寛永通宝です。特徴は「永」という文字の左側の線が太く力強い印象を受ける点であり「力永(りきえい)」とも呼ばれています。
水戸銭は「二水永」の流通を受けて、幕府が水戸に鋳造所を置いて製造を始めたと言われています。比較的多く作られたため、買取相場は~500円とあまり高くありません。
仙台銭
陸奥国仙台で製造された「仙台銭」は、文字のバランスが整っている点が特徴です。
銭の中央に「寛永通宝」の文字が小さくきれいに配置されているため、「中字銭(ちゅうじせん)」とも呼ばれています。
仙台藩が幕府から特別に許可を得て製造したもので、地方経済の歴史を語る上でも貴重な存在ですが、希少価値は高くありません。買取相場は~1,000円程度となっています。
吉田銭
1637年に三河国吉田で作られた「吉田銭」は、別名「広永(ひろえい)」と呼ばれる寛永通宝です。名称は「永」の字の横の線が長く伸びて見える特徴的な書体に由来しています。
吉田藩は徳川家と関係が深かった藩であり、吉田銭は歴史的に価値があると言われています。ただし、製造数が多く、買取相場は数百円程度と比較的安価です。
松本銭
「松本銭」はは「寳」の文字の左半分が右上に大きく傾いている書体が特徴で「斜宝(しゃほう)」や「縮宝(しゅくほう)」と呼ばれています。
鋳造を担っていた今井家から未使用品の松本銭が見つかっており、現在は松本市立博物館で展示・保管されています。
鋳造数の少なさから希少価値が高く、状態の良いものは1万円の値がつくことも珍しくありません。
高田銭
「高田銭」は「笹手永(ささてえい)」と呼ばれる独特の書体が特徴の寛永通宝です。「永」の文字の下部が、まるで笹の葉のように左右に大きく広がっている形に由来しています。
特徴的な文字は、ほかの寛永通宝と比べても特徴的なため、古銭に詳しくない方でも容易に見分けられます。
比較的多く鋳造されたため希少性は高くありません。買取相場は数百円程度です。
岡山銭
「岡山銭」は1637年に備前国岡山で製造された寛永通宝です。
特徴は「通」の文字の上と下の部分が少し離れているように見える点であり「離頭通(りとうつう)」と呼ばれています。
この珍しい書体は、徳川家ともつながりが深い岡山藩で作られた歴史的に重要な古銭と言えるでしょう。買取相場は数百~数千円ほどです。
長門銭
1637年に長門国で作られた「長門銭」は、別名「俯永(ふえい)」と呼ばれる珍しい書体が特徴の寛永通宝です。
「俯永」は「永」の文字が上下に押しつぶされたような形状であり、俯いているように見えることに由来します。
この独特な文字の形のため、他の寛永通宝と見分ける重要な手がかりです。
長門銭の買取相場は数百円~数千円程度。保存状態が良ければ、さらに高値で取引される可能性もあります。
1653年(承応2年)鋳造
1653年に鋳造された寛永通宝は「建仁寺銭」です。京都の建仁寺で鋳造されたと言われている寛永通宝で、他の文字と比べて「通」の文字が大きく作られている点が特徴です。
しかし、鋳造所には諸説あり、本当に建仁寺で作られたかははっきりしていません。目を惹くインパクトのある書体と歴史的な背景からコレクターの間で人気があります。
買取相場は数百円~数千円です。
1656年(明暦2年)鋳造
1656年(明暦2年)に鋳造された有名な寛永通宝は以下の2種類です。
それぞれ解説します。
沓谷銭
「沓谷銭(くつのやせん)」は「寳」の文字の下部分が、他の文字よりも長く伸びている書体(正足宝)が特徴の寛永通宝です。
沓谷銭は流通数が多いため、寛永通宝の中で希少性が高い種類ではありません。買取相場は数百円ほどです。
鳥越銭
1656年に江戸の鳥越で作られた「鳥越銭」は、こぢんまりとした見た目が特徴の寛永通宝です。
「寛永通宝」の文字が真ん中に小さく、きれいに収まっているため、他のものと比べてやや控えめな印象を受けます。
比較的多く鋳造されて流通したと記録されており、現在でも多く残っています。そのため、希少価値はそれほど高くありません。買取相場は数百円程度が一般的です。
【新寛永】有名な寛永通宝の種類と価値

寛永通宝(新寛永)も鋳造年ごとに紹介します。
- 1668年(寛文8年)鋳造
- 1714年(正徳4年)鋳造
- 1717年(享保2年)鋳造
- 1728年(享保13年)鋳造
- 1737年(元文2年)鋳造
- 1741年(寛保元年)鋳造
それぞれ見てみましょう。
1668年(寛文8年)鋳造
1668年頃に鋳造されたのは「島屋文(しまやぶん)」と呼ばれる種類です。島屋文は「通」の文字の上部が「ユ」の形に見えるのが最大の特徴です。
この珍しい書体は「島屋」と呼ばれており、文字全体が丸みを帯び、彫りが深くなっています。
裏面に「文」と刻印があるものと刻印がないもの(島屋文無背)の2種類が存在します。刻印がある種類は流通量が少ないため、希少価値が高いのも特徴です。
状態が良いものは、10万円以上の金額がつくこともあります。
1714年(正徳4年)鋳造
1714年には「日光御用銭」が鋳造されました。徳川将軍家が日光東照宮に参拝する際に使われたお金、との説が有力とされています。
「寳」の文字の内部にある「尓」の部分にハネがない点や全体的に大ぶりな点が特徴です。
製造数が少ないため希少価値が極めて高く、状態が良ければ25万円の値がつくこともあります。
1717年(享保2年)鋳造
1717年鋳造の有名な寛永通宝は「背広佐(せびろさ)」です。
裏面に「佐」の文字が刻まれているのが最大の特徴です。「佐」の文字は、佐渡銭と呼ばれる別の貨幣よりも大きく、はっきりとしています。
大量に製造されたため、通用銭は~1,000円とあまり高くありません。しかし、母銭は非常に希少で、数十万円の価値がつくことがあります。
1728年(享保13年)鋳造
1728年に鋳造されたものは「石ノ巻銭」であり、裏面に刻まれた文字の有無で価値が大きく変わる寛永通宝です。
裏面に「仙」の文字がはっきりと刻まれている「重揮通背仙(じゅうきつうはいせん)」と、何も刻まれていない「重揮通無背(じゅうきつうむはい)」の2種類があります。
重揮通背仙(じゅうきつうはいせん)は数の少なさから非常に希少価値が高く、数千~数万円の金額で取引されることも珍しくありません。
重揮通無背(じゅうきつうむはい)は製造数が比較的多く、買取相場は数百円程度です。違いを見分けるのは難しいため、専門家による鑑定をおすすめします。
1737年(元文2年)鋳造
1737年に作られたのは「小梅銭」です。裏面に「小」の文字がはっきりと刻まれているのが特徴であり、製造地の故梅村を意味します。
他の種類よりも重量が少なく、中央の穴が小さいことから「狭穿(きょうせん)」とも呼ばれます。文字の書体には多くの種類があるため、見た目が少しずつ違うものが見つかるかもしれません。
流通量が多かったため、買取相場は〜1,000円程度と他の種類と比較して高くありません。
1741年(寛保元年)鋳造
1741年に鋳造された有名な貨幣は「下野国足尾銭(しもつけのくにあしおせん)」です。
下野国足尾銭は「足字銭(あしじせん)」という別名を持っており、鋳造した場所を意味する「足」の文字が刻まれていることに由来しています。
当時経営が悪化していた足尾銅山を助けるために発行された経緯があり、流通量が多くサイズがばらばらなのが特徴です。
希少性は高くなく、買取相場は数百円程度となっています。
プレミア価格がつくレアな寛永通宝

多くの寛永通宝はそれほど価値がありませんが、一部にはプレミア価格がつく非常に珍しい種類があります。
- 二水永(にすいえい)
- 松本銭(まつもとせん)
- 島屋文(しまやぶん)
- 日光御用銭(にっこうごようせん)
- 背広佐(せびろさ)
上記のような希少性のある寛永通宝は数万~数十万円の価値が期待できます。また、上記以外にも、母銭であればプレミア価格で取引される可能性は高いでしょう。
偽物の寛永通宝の見分け方

種類によってはプレミア価格で取引される寛永通宝は偽物が流通しており、被害にあう人が後を絶ちません。
本章では、偽物の寛永通宝を見分ける以下のポイントについて解説します。
ひとつずつ解説します。
「寶」の字
寛永通宝が本物かどうかを見分けるときは「寶」の文字に注目してみましょう。古寛永と新寛永で「寶」の「貝」の書き方が以下のように違うのです。
- 古寛永:「貝」の下部分が「ス」のような形になっている
- 新寛永:「貝」の下部分が「ハ」のような形になっている
古寛永にもかかわらず、貝の下部分が「ハ」の字になっていたら偽物の可能性が高いでしょう。
文字の書体・配置
寛永通宝が本物かどうかを見分けるためには、文字の書体や配置をよく確認することが重要です。偽物は文字が雑に彫られていたり、線の太さが不自然だったりすることがあります。
とくに「永」の文字の線が細かったり曲がっていたりしないか本物の画像と見比べてみましょう。
また、文字のバランスが崩れていたり、細部が違っていたりする偽物も多く見られます。一見同じように見えても、よく観察すると不自然な点が見つかるかもしれません。
材質
寛永通宝が本物かどうかを見分けるためには、材質を確かめましょう。本物の寛永通宝は主に銅が、そのほかにも鉄・真鍮などさまざまな金属で作られています。
一方、偽物は安価な真鍮やアルミなどで作られている場合があります。本物と比べて不自然に薄い・軽い・音が違うなど、違和感がないか確認してみましょう。
保存状態
寛永通宝が本物かどうかを見分けるには、保存状態も重要です。
本物の寛永通宝は、何百年もの時を経ているため、表面に緑色のサビ(緑青)があったり、全体的に傷や汚れがあったりします。
縁の部分がくっきりしており、滑らかで光沢がある点も特徴です。一方、偽物は新品のようにきれいすぎたり、不自然な傷や汚れがあったりするものが多く見られます。
表面が異様にざらざらしていたり、縁の部分が不明瞭な場合は、偽物の可能性を疑ってみましょう。
寛永通宝を高く売る4つのコツ

寛永通宝を高く売るには、以下のポイントを押さえましょう。
- 保存状態が悪くなる前に売る
- 複数の買取業者へ査定に出す
- 付属品を揃える
- まとめて売る
ひとつずつ解説します。
保存状態が悪くなる前に売る
寛永通宝は、状態によって価値が異なります。時間が経つにつれてサビが進むため、売却を決めたらできるだけ早く査定に出すことが高価買取の重要なコツです。
現在流通している多くの寛永通宝には汚れ・傷・緑青が見られます。経年劣化は本物かどうかを見分けるポイントとなりますが、製造されたままの美しい状態の方が価値は高くなる傾向です。
そのため、売る予定があるなら、今以上に状態が悪くなる前に買取に出しましょう。保管する場合は、素手で触らない・湿気や直射日光を避ける・専用ケースに入れるなど、適切な保管が必要です。
汚れていても自分で磨いたり洗ったりしないでください。無理に手入れをすると、かえって傷をつけ、価値が下がる可能性があります。
複数の買取業者へ査定に出す
寛永通宝を高く売るために複数の買取業者に査定依頼しましょう。同じ寛永通宝でも、お店によって買取価格が異なることがあるためです。
買取業者によって査定の基準が異なるため、提示される価格に差が出ることは珍しくありません。複数の買取価格を比較すれば、より高い価値をつけられる買取業者を見つけられるでしょう。
付属品を揃える
寛永通宝を売却する際は、鑑定書や箱などの付属品も一緒に査定に出しましょう。鑑定書は古銭が本物であることを証明する重要な書類です。
付属品が揃っていると古銭の信頼性が高まります。付属品がない場合に比べて買取価格が高くなる傾向があるため、付属品は忘れずに査定へ出しましょう。
まとめて売る
寛永通宝は、単品で売るよりも複数枚をセットにして査定に出せば買取価格が上がる可能性があります。
寛永通宝以外でも問題ありません。ほかの古銭や記念硬貨などがある場合は一緒に査定に出してみましょう。
『買取大吉』では、古銭・古紙幣はもちろん、外国銭・貴金属・宝石・時計なども買取可能です。買取品目は下のボタンからご確認ください。
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一見すると同じように見える寛永通宝でも、種類や保存状態によって価値は異なります。とくに、希少な種類や母銭であれば、高価買取が可能です。
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『買取大吉』の買取方法

『買取大吉』では、以下の買取方法を用意しています。ご都合の良い方法で査定を試してみてください。
買取方法 |
特徴 |
店頭買取 |
お近くの店舗で査定を受ける方法
その場で現金をお支払い
すぐに現金が欲しい方におすすめ
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出張買取 |
ご自宅で査定を受ける方法
その場で現金をお支払い
大量の商品を売りたい方におすすめ
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宅配買取 |
宅配便で商品を送って査定を受ける方法
全国どこからでも利用可能
近くに店舗がない方におすすめ
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いずれの方法も査定は無料、出張料・宅配料もかからないため、ぜひお気軽にご利用ください。
まとめ:希少な寛永通宝は価値が高い

何百年も前の古銭である寛永通宝は、種類や状態によっては高い価値が期待できます。とくに「二水永」や「松本銭」などの希少な種類は、プレミア価格で取引されることも珍しくありません。
『買取大吉』は古銭に精通した鑑定士が在籍しているため、適正価格での買取が可能です。ご自宅にある寛永通宝の価値が気になる方は、ぜひ一度『買取大吉』の無料査定を試してみてください。
どんなお品物でも、どんな状態でも喜んで査定させていただきます。他社様で断られた物もがんばってお買取致します。こちらに載っていないものでもお気軽にお持ちください。