【歴代一覧】お札の人物に関する疑問を解決!新札の3人も詳しく紹介
2024年12月31日
「お札の歴代人物にはどんな人がいるの?」
「今のお札はどんな人?」
このように考えていませんか?
日本のお札は、江戸時代から発行されており、現代まで多くの歴史的偉人や文化人が肖像画として採用されてきました。
肖像画は、紙幣の品格を保つだけでなく、偽造を防止する対策のひとつとして取り入れられています。
本記事では、歴代のお札に描かれた人物(2024年から発行されている新しいお札の肖像)について解説します。
お札に描かれる人物について理解が広がるため、ぜひ参考にしてみてください。
<この記事でわかること>
- 肖像画に採用された歴代の人物一覧
- 新紙幣に選ばれた3人の功績
- お札に肖像画が利用される理由
お札(紙幣)に描かれた歴代の人物一覧|20名
お札には、これまでに20名の人物が肖像として描かれました。
肖像で描かれた人物は以下の通りです。
人物名
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備考
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菅原道真(すがわらのみちざね)
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学問の神として知られる平安時代の政治家。
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和気清麻呂(わけのきよまろ)
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奈良時代の官僚で、称徳天皇の治世に活躍。
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武内宿禰(たけのうちのすくね)
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古代日本の伝説的な政治家で忠臣として有名。
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藤原鎌足(ふじわらのかまたり)
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飛鳥時代の政治家で藤原氏の祖。
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聖徳太子(しょうとくたいし)
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日本初の法令「十七条憲法」を制定した政治家。
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日本武尊(やまとたけるのみこと)
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日本神話に登場する英雄的な人物。
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人物名
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備考
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二宮尊徳(にのみやそんとく)
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農政家・思想家で「報徳思想」を広めた人物。
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岩倉具視(いわくらともみ)
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明治維新の中心人物で、岩倉使節団を率いた政治家。
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高橋是清(たかはしこれきよ)
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昭和期の大蔵大臣としてデフレ脱却を進めた経済政策家。
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板垣退助(いたがきたいすけ)
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自由民権運動の指導者として知られる政治家。
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聖徳太子(しょうとくたいし)
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日本初の法令「十七条憲法」を制定した政治家。
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伊藤博文(いとうひろぶみ)
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日本初の内閣総理大臣を務めた近代日本の礎を築いた政治家。
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福沢諭吉(ふくざわゆきち)
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「学問のすゝめ」を執筆した啓蒙思想家。
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新渡戸稲造(にとべいなぞう)
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国際連盟の事務次長を務めた国際的な教育者。
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夏目漱石(なつめそうせき)
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「吾輩は猫である」などの作品で知られる日本近代文学の代表的作家。
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樋口一葉(ひぐちいちよう)
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現行五千円札に採用された日本銀行券で初の女性肖像。
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野口英世(のぐちひでよ)
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世界的な細菌学者で黄熱病の研究で知られる人物。
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渋沢栄一(しぶさわえいいち)
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日本の近代産業の基盤を築いた実業家。
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津田梅子(つだうめこ)
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女性教育の先駆者。
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北里柴三郎(きたざとしばさぶろう)
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伝染病や細菌学の研究に尽力。
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政府紙幣の肖像一覧
人物名
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備考
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神功皇后(じんぐうこうごう)
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女性将軍として軍を率いて朝鮮半島に出兵し、新羅を征し、百済(くだら)、高句麗(こうくり)を帰服させた人物。
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板垣退助(いたがきたいすけ)
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自由民権運動の指導者で、日本の近代政治の発展に寄与した人物。
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※2000年(平成12年)から発行された二千円札の裏面には紫式部が描かれました。
日本銀行が発行する紙幣とは異なり、政府が独自に発行する紙幣を「政府紙幣」と呼びます。
現在、日本国内で使用されている一万円券、五千円券、二千円券、千円券(正式には「日本銀行券」)は、日本銀行法に基づき日本銀行が発行している法定通貨です。
政府紙幣は日本銀行ではなく政府が発行するもので、価値は日本銀行券と同等のものとして扱われます。
日本では、明治維新後に明治政府が発行していたことがありましたが、1882年(明治15年)に日本銀行が設立されて以降、政府紙幣の発行は行われていません。
政府紙幣は、1868年(明治元年)から1872年(明治5年)にかけて発行された紙幣で、以下の種類があります。
- 太政官札
- 大蔵省兌換証券
- 開拓使兌換証券
- 明治通宝
1878年に「明治通宝」に統一されました。
参照:日本銀行「お金の話あれこれ(3)お札に登場した人物、動物」
肖像画入りの紙幣の歴史
肖像画入り紙幣の歴史は古く、江戸時代までさかのぼります。
肖像画入り紙幣の歴史を順番に見ていきましょう。
- 紙幣が登場するまでは硬貨が主流
- 地域限定で使用できる紙幣の発行
- 全国共通の紙幣が発行
- 肖像入り紙幣の誕生
ひとつずつ解説します。
紙幣が登場するまでは硬貨が主流
お札が金銭として使われ始めたのは江戸時代からで、それ以前は硬貨が一般的でした。
硬貨は以下の点から、広く流通していたと考えられます。
- 製造技術があれば大量生産が可能
- 形状が均一なため信頼性が高い
- ヒモに通して持ち運べる
金・銀・銅が素材として使用されていたため、素材そのものの価値が信用を得る要因となっていました。
地域限定で使用できる紙幣の発行
江戸時代に入ると、人口の増加に伴って硬貨を製造するための金属が不足するようになりました。
そこで、海外で流通している紙幣が注目されることになります。初めに発行された紙幣は、1600年頃に三重県の商人の間で使われていた「山田羽書(やまだはがき)」です。
その後、福井藩が領内限定の「藩札(はんさつ)」を発行しました。
金属を使わずに経済を回す方法として注目され、財政難に陥っていた藩主たちにとって、重宝されたといわれています。
その後、全国の約8割の244藩で紙幣が作られたのです。
全国共通の紙幣が発行
1868年、明治時代に入り、全国で使用できる政府紙幣「太政官札(だじょうかんさつ)」が発行されました。
しかし、「太政官札」は偽造が容易だったため、流通後に混乱を招く結果となったのです。
日本政府は信頼性を高めるため、印刷技術が優れているドイツやアメリカに紙幣の製造を依頼します。
そして、1870年にドイツで作られた「新紙幣」や、1871年にアメリカで製造された「国立銀行紙幣(旧券)」が全国で流通しました。
肖像入り紙幣の誕生
1881年、日本で初めて肖像画が描かれた紙幣が発行されました。採用されたのは「神功皇后(じんぐうこうごう)」の肖像です。
神功皇后は、朝鮮半島の新羅への出兵や、広範囲にわたる征服を成し遂げたとされる「三韓征伐(さんかんせいばつ)物語」の中心人物として知られています。
デザインは、イタリア人技師エドアルド・キヨッソーネが手掛けたことから、洋風の顔立ちで描かれている点が大きな特徴です。
現在発行されているお札の人物|2025年時点
2024年7月3日、20年ぶりに新紙幣が発行されました。紙幣は偽造防止対策のため、定期的にデザインや新しい技術が取り入れられ更新されます。
新しく肖像画に選ばれた人物は以下の3名です。
- 渋沢栄一|一万円
- 津田梅子|五千円
- 北里柴三郎|千円
それぞれの人物について紹介します。
渋沢栄一|一万円
新しい一万円札の肖像として選ばれたのは、日本資本主義の父とも称される渋沢栄一です。
渋沢栄一は、1869年に株式会社の前身とされる「商法会所」を設立し、実業界での活動を開始しました。
その後、日本初の銀行である「第一国立銀行」を東京都中央区日本橋兜町に設立します。第一国立銀行は現在のみずほ銀行であり、日本初の株式会社ともいわれています。
また、生涯で約480社の企業設立に関わり、約600の社会事業にも関与しました。
東京海上火災保険・東京ガス・JR東日本・日本経済新聞社・東京電力など、現在でも重要な役割を果たす企業の創設に携わっています。
さらに、日本赤十字社・日本女子大学・早稲田大学の設立支援を行い、社会福祉にも尽力しました。
特に、身寄りのない子どもや病気で働けない人を支援する「養育院」(現在の東京都健康長寿医療センター)の院長を60年にわたり務め、社会的支援に貢献した人物です。
津田梅子|五千円
五千円札の肖像に選ばれたのは、日本初の女子留学生である津田梅子です。
「これからの時代、英語は重要な武器になる」という父(外国奉行で通訳を務めた津田仙)の考えから、アメリカへ留学し、初等・中等教育を受け、優れた成績を修めました。
1900年、35歳のときに身分の区別を超えた女性のための私立学校「女子英学塾(じょしえいがくじゅく)」を設立します。
開校当初の生徒はわずか10名でしたが、高等教育を提供し、当時の女性にとって数少ない専門職である英語教員の育成に力を注ぎました。
津田梅子は64歳で生涯を閉じましたが、彼女が設立した女子英学塾は発展を続け、1948年(昭和23年)に「津田塾大学」と改称します。
北里柴三郎|千円
千円札の肖像に選ばれたのは、細菌学者の北里柴三郎です。
1871年、熊本医学校(現在の熊本大学医学部)に入学し、オランダ人医師マンスフェルトの指導を受けながら医学の道を志しました。
1874年には東京医学校(現在の東京大学医学部)に進学し、「医者の使命は病気の予防にある」という信念を持つようになります。
その後、ドイツに留学し、病原微生物学の第一人者であったローベルト・コッホとともに、研究に励みました。
1889年には、破傷風菌(はしょうふうきん)の純粋培養に成功します。さらに、毒素に対する免疫抗体を発見し、血清療法を確立しました。
1892年に帰国した後は、私立伝染病研究所を設立します。
翌年には日本初の結核治療専門病院である土筆ケ岡養生園(つくしがおかようじょうえん)を設立し、結核の予防と治療に尽力しました。
お札に肖像画が利用される2つの理由
お札に肖像画が利用される理由は以下の2つです。
それぞれ見ていきましょう
偽造防止
お札に肖像画が利用されるのは、偽造を防ぐためです。
人は人物の顔を識別する能力が高いため、肖像画が少しでもぼやけたり、ズレていたりするとすぐに違和感を覚えます。
この特性を活かし、肖像画を使うことで偽造防止につなげているのです。
親近感
もうひとつの理由は、親しみやすさを持ってもらうためです。
広く知られている政治家や文化人、有名人の肖像を描くことで、人物の功績を再認識できると同時に、お札そのものに対する関心や親しみを高める狙いがあります。
【Q&A】お札の人物に関する疑問を解決
お札の人物で気になる疑問にお答えします。
Q.歴代の人物のなかで最も多く登場したのは誰?
Q.肖像画は右側で統一されている?
Q.肖像に選ばれる基準はある?
それぞれ見ていきましょう。
Q.歴代の人物のなかで最も多く登場したのは誰?
お札に描かれた歴代の人物のなかで最も多く登場しているのは「聖徳太子」です。
聖徳太子は、戦前の紙幣を含めると合計7回も採用されています。また、1958〜1965年の7年間は、紙幣の全額面に聖徳太子が採用されていました。
紙幣の歴史上極めて稀であり、聖徳太子が日本人に特別な存在であったかが伝わってきます。
聖徳太子のお札については、以下の記事で詳しく紹介しています。
Q.肖像画は右側で統一されている?
日本銀行券の肖像画は、表面の右側に描かれています。しかし、一時期の五千円札では例外的に肖像が中央に配置されました。
これは、当時の五千円札と一万円札の両方に聖徳太子が採用されていたため、区別できるように中央配置となったのです。
また、一度だけ肖像が表面の左側に描かれたこともあります。1915年(大正4年)に発行された「乙十円券」で、肖像画には和気清麻呂(わけのきよまろ)が描かれていました。
しかし、銀行などでお札を数える際、「十円札だけ肖像が確認しづらい」という意見が寄せられたため、肖像が表面の左側に配置されることはなくなりました。
Q.肖像画に選ばれる基準はある?
肖像画選定に関する法的な規定はありませんが、以下のような基準に基づいて選ばれています。
選定のポイント
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詳細
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偽造防止の観点
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精密な写真が入手でき、偽造を防ぎやすいこと。
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品格のあるデザイン
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肖像が紙幣の品格を保ち、ふさわしい印象を与えること。
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広く知られた人物
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国民に広く認知され、その功績が評価されていること。
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現在の日本円札に描かれている肖像は、上記の基準をもとに明治以降の人物から選定されています。
お札に描かれる肖像やデザインは、通貨行政を担当する財務省・発行元の日本銀行・製造を担う国立印刷局の三者が協議して決めますが、最終決定は財務大臣です。
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日本のお札には、歴史的な偉人や文化人が肖像として採用され、これまでに20名の人物が描かれてきました。
2024年には新たに渋沢栄一・津田梅子・北里柴三郎の肖像が採用された紙幣が発行され、偽造防止や親近感を高める工夫が施されています。
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