女性らしさの象徴【パール/真珠】にまつわる話や雑学を買取大吉 逗子店がご紹介致します!
2022年7月18日
逗子・葉山・鎌倉・横須賀・金沢区近辺にお住いの皆様こんにちは!
買取大吉逗子店の松永です!
世界各地で古くから愛される『パール/真珠』は別名『月のしずく』『人魚の涙』と呼ばれるほどの美しさです。
本日は買取大吉 逗子店が『パール/真珠』の歴史や雑学についてご説明致します。
パール/真珠の歴史と雑学
古くはエジプトで紀元前3200年頃からすでに知られていてたと言われており、当時の女王クレオパトラには真珠にまつわる有名な話があります。
クレオパトラは歴史上もっとも大きな二つの真珠を持っていました。
クレオパトラはローマの政治家であるアントニウスに今まで見たことがないような贅沢な宴会を開くことができると言いましたが、アントニウスはそんなことはできないと主張し2人は賭けをすることになりました。
その後クレオパトラは宴会を開きましたが、普段の宴会とそれほど変わったところはありませんでした。
アントニウスがそのことを揶揄すると、クレオパトラは耳につけていた世界最大の真珠のイヤリングの片方を酢の中に入れ、真珠を溶かし、一気に飲み干しました。
こうして、この賭けはクレオパトラの勝利となったという話があります。
日本の天然真珠
古代日本でも他国と同様、アコヤ真珠の一大産地でした。
古代の日本人は真珠を中国への朝貢品として使用しており、真珠は日本最古の輸出品のひとつでした。
中国の「魏志倭人伝」や、「後漢書」にも日本の真珠の記述があり、その歴史がうかがい知れます。
奈良時代になると、真珠は天皇の衣冠束帯に欠かせない物になり、位の高い人々の象徴の品でした。
13世紀末のマルコ・ポーロの「東方見聞録」でも日本が黄金と真珠の国であると紹介され、ヨーロッパ人は日本の真珠を認知することになりました。
その後、日本では鎖国が始まり、日本が真珠の産地だということは、しばらくの間ヨーロッパ人から忘れられることになり、世界の真珠争奪戦に巻き込まれなくて済んだという話です。
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買取大吉 逗子店 公認鑑定士 松永
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