【古銭】とは?また起源、どこまで売れるのか?など買取専門店大吉センター北店が解説します!
2022年6月21日
センター北付近にお住いの皆様こんにちは!
買取専門店大吉センター北店の室橋です!
本日は、お家に眠ってる方も多い古銭についてご紹介いたします!
「古銭とは?」
基本的に、現在製造・流通していない貨幣になります!
なので意外にもお家に眠っている方も多いと思います!!
次に、古銭はいつからあるの?と疑問についてお答えします!
「起源について」
日本最古の古銭は、飛鳥時代に作られた
富本銭であるとされています!
その後、708年頃に一度は聞いたことがあるかの有名な
和同開珎が作られ、それから平安時代以降2世紀に渡り、約12種類の銭貨が作られました!これら12種類は皇朝十二銭と呼ばれています!
ここまで、起源についてご説明してきましたが種類についてざっとご説明します!
江戸時代になると財政難から、
二朱金(にしゅきん)、二分金(にぶきん)、一朱金(いっしゅきん)、五両判(ごりょうばん)といった金貨や、二朱銀など金貨の単位で表した銀貨もつくられ種類が増えました。また地方では大名が発行した藩札(はんさつ)や、公家や寺社らによる私札といった紙幣も使われました!
さらに、大判や小判と言った物も作られました!ここで大判と小判の違いを説明します!
大判・・・将軍家・大名・公家たちの進物(しんもつ)などの儀礼用に使われ、小判やほかの金銀貨のように取引の決済に使うものではなかったそうです!使用する場合は目録と共に渡し、財布等に入れて持ち歩くことはなかったが、使わないときは墨書きがすれて消えないように、真綿や和紙に包んで大事に保管したそうです。
小判・・・江戸時代を通して10種つくられて、額面を墨書きせず極印にすることで量産を可能にしたそうです!
財政事情の悪化や金の不足によりたびたび改鋳が行われ、質を落としていった。
ここまで、説明してきましたが墨書きと何?と思われる方もいらっしゃると思うので説明させていただきます!
「墨書きとは?」
一般的な小判では量目や品位を保証するための印として極印(金に文字を刻んだもの)を用いたのに対して、大判では墨書きが用いられました。
大判の鋳造を一手に請け負っていたのは後藤四郎兵衛家ですが、墨書きとは大判に入れられた後藤四郎兵衛家代々のサインです!
後藤四郎兵衛家以外の人間が墨書きをすることは許されず、代々の後藤四郎兵衛家によって全て手書きで入れられました!
後藤四郎兵衛家の筆跡によって、大判の量目や品位を保証したのです!
墨に膠を混ぜて消えにくいようにはなっていましたが、もし使っているうちに墨書きが消えた場合には後藤家に持参し、手数料を支払って書き直して貰わなければならなかったといいます。
鋳造当時から残っている墨書きを「元書き」、手数料を支払って書き直して貰ったものを「直し書」と言いますが、古銭買取市場において特に高い価値が認められるのは「元書き」です!
ここまで見て頂いてありがとうございます!
古銭を集める方が増え、業者の方でも見切れなく価値が年々下がっております!なので、今がチャンスです!
なので、買取専門店大吉センター北店では、どの時代の古銭でも査定させていただきます!
中には価値が付く物もあると思いますので一度分からないことがございましたらご相談からでも承りますので是非お気軽にご来店お待ちしております!!
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買取専門店大吉センター北店 公認鑑定士 室橋
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