江戸時代などに使われていた大判や小判を売るなら買取大吉逗子店にお任せ下さい!!
2022年11月21日
逗子・葉山・横須賀・鎌倉にお住まいの皆様こんにちは!
買取大吉逗子店の室橋です!
本日は江戸時代に使われていたとされている大判と小判についてご紹介致します!
まずはいつ頃流通し始めたのかご紹介致します!
【大判・小判の歴史について】
歴史は江戸時代にさかのぼります。
豊臣秀吉に変わり天下統一を果たした徳川家康は治世の為に貨幣制度の統一に踏み出しました。
その際に金・銀・銅の三種類の貨幣を用いた三貨制度」を施行しました。大判・小判や「一分金」などはこの中の金貨に分類されます。
また、大判の歴史の方が古く天正16年の1588年に豊臣秀吉の命で
鋳造された「天正大判」が最も古いものとして知られています。その後「天保大判」「享保大判」などの大判が鋳造され広く普及していきました。
小判は文禄4年(1595年)に徳川家康の命によって江戸と駿府で鋳造が開始されました。
大判小判ともに江戸時代を通して発行され流通しましたが、それぞれに発行され使用された目的は異なります。
大判の方は贈答用として主に用いられることが多く戦において功績をあげた武士への褒美として金一枚を単位とした大判が贈与されていました。
一方小判は主に日常的に用いられ一枚一両あたり江戸時代を通じて普及しました。
また、小判や大判は日本だけではありませんのでご紹介致します。
【世界にも愛される大判小判について】
大判や小判は日本のみならず世界にも価値があるものとされています。
外国の方からすると日本の歴史を味わえると同時に外国にはない形として注目を浴びているようです。
また大判や小判にも様々な種類や特徴があり主に有名なのが6種あります。
天正大判
安土桃山時代から江戸時代にかけて鋳造が行われた。天正菱大判、天正長大判、大仏大判あどが知られている。
慶長大判
慶長6年(1601年)より発行が開始され、発行時期や墨書、金品位などによって数種類に分類される。慶長一分判、慶長丁銀、慶長豆板銀を総称して慶長金銀と呼び、徳川家康の天下統一の象徴としてされています。
元禄大判
元禄8年(1695年)に発行された大判。表面には「拾両後藤(花押)」と墨書され、裏面には「元」の文字の年代印が打たれているのが特徴。
元禄小判
元禄6年(1693年)に一両として発行が開始された。当時、佐渡金山からの金の採掘量が減ったことや、生糸貿易による金銀の海外流出などの背景があったため、金の含有量の少ない小判となっている。
享保小判
正徳4年に発行された一両の額面を持った小判。金の含有率は86%で、金の品位ではK20に相当します。買取に出す際には、価値は貴金属以上のものとなることを覚えておくといいかもしれません。
天保小判
天保8年(1837年)に発行された小判。鋳造過程でローラーを利用した延金作業が行われた初めての小判です。「大吉」という印の入った献上用のものは、特に希少価値が高まります。
このように大判小判は複数種類があり発行枚数もバラバラです。
まだまだ、紹介しきれていない大判や小判もあるので是非調べてみて下さい!
【高価買取情報をお届けします!】
買取大吉逗子店では大判や小判のような古銭のお買取りしています!
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一方で中にはプレミアが付いてるものもあります。
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買取大吉 公認鑑定士 室橋
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